経済学の教科書は山ほどありますが、歴史上最も売れている教科書はポール・サミュエルソン博士(Paul A. Samuelson【米】1915年〜2009年)の「経済学Economics:An Introductory Analysis」と言われています。この本の巻頭に経済学が解決する問題として3つの点が挙げられています。 |
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<どのような>商品を、しかもどれだけ、生産すべきであるか、すなわち、経済は選択の可能性のある数多くの財貨とサービスのそれぞれを、どれだけ作るべきか。 |
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財貨は<どのようにして>生産されるべきであるか、すなわち、誰が、どの資源を使い、どんな技術的方法で生産されるべきか。 |
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財貨は<誰のために>生産されるべきか、すなわち、誰が、提供される国の財貨やサービスを享受し、かつその恩恵を受けるべきであるか。この3つの課題を解決していくのが経済学の本質であるということのようです。初版は1948年ですが、いまだに改訂版が出版されており、また読みやすい本なので、参考になるのでないかと思います。 |
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アダム・スミスからケインズまで(18C後半〜20C中頃) |
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経済学の始まりから話を始めますと、経済学の始祖はアダム・スミス(Adam Smith【英】1723年〜1790年)とするのが一般的な見解です。スミスは1723年の生まれで、享保改革を実施した徳川吉宗(暴れん坊将軍)が江戸幕府の将軍になったのが1716年、田沼意次や与謝蕪村と同じ頃の人です。有名な「国富論」が出版されたのは1776年、アメリカ合衆国が独立を宣言する4カ月前です。
アダム・スミスの基本的思想は、市場の自由にしておけば「最大多数の最大幸福が得られる」と言うもの。いわゆるパレート最適(ちなみに、パレートとは経済学者の名前)が得られると言うものです。経済の発展を求めるのなら、「規制を廃し市場を開放しないといけない」と言うものです。いわゆるレッセフェール(自由放任:フランス語)こそがあるべき姿というものです。
アダム・スミスは経済学の礎を築き、今では「古典派」と呼ばれる思想を創り出しましたが、この古典派経済学の理論的な礎を築いたのはデビット・リカード(David Ricardo【英】1772年〜1823年)です。リカードは国際分業の原理としての「比較優位説」を発見しました。 |
必ず需用される」という理論を前提としています。この考えを一般的に「セイの法則」と言いますが、古典派経済学者の重要な前提ともなっています。供給されたものはすべて売れるというものであり、また供給された労働力もすべて売れることになります。すなわち、売れ残りはあり得ず、失業もないという考えです。古典派の考えは今でも、「セイの法則」を脈脈を受け継いでいるようで、その為、昨今の「古典派」(新自由主義者)も失業については考慮しない傾向にあります。
新自由主義者は、政府は市場に介入すべきではなく、競争状態に置くべきとし、その結果、失業者が生まれても仕方がなく、そのうち安い賃金で働くことになるので、それで良いと主張する根拠はこの「セイの法則」にあるのです。それに従って「医療保険も政府が運営すべきではなく、誰でも扱えるように規制緩和を推進すべき」と言う理屈が生まれてくるのです。この古典派経済学の基本的テーゼと異なる見解を示したのがマルクスとケインズです。 |
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〜レッセフェール〜 |
「生産力を増やすためには、各人が得意分野に特化した作業を行うべきである。」例として、職人がピンを作るのに全工程を1人でやれば1日に1本さえ作れないが、工程を10人で分業すれば、1日に48,000本も作ることができるという話は非常に有名です。このように、分業こそが生産性向上に必要ですが、これは誰かが論理的に作り出すものではなく、人々が自分の利益を最大限にすることを求めると、自然とそうなります。「交易・交換という経済取引は人間の本能の中に存在する性質(内発的動機)であるので、これを規制してはならない。」これが、レッセフェールであり、現在の古典派にも引き継がれています。 |
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ここからは、現代経済学の祖であるジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes【英】1883年〜1946年)の紹介に移ります。彼が生まれたのは1883年、明治16年のことです。1936年に有名な「雇用・利子および貨幣の一般理論」が出版されましたが、この中で今までの古典派の経済法則であった「作ったものはすべて売れる、長期的失業は発生しないという『セイの法則』」を批判し、在庫が積みあがることもあるし、失業もあり得る」と述べているのです。一方、ケインズも古典派のことをすべて否定しているわけでなく、景気の良いときは作ったものはすべて売れ、市場メカニズムが働き、失業者も出ない。一方、景気が悪いときは市場を自由放任(レッセフェール)とせずに、政府が需要を作らないとならない、と説きました。すなわち、古典派が言っている「供給が需要を作り出す」のではなく、「需要こそが供給を作り出す」とまったく逆のことを言ったのです。そのためケインズの考えは「革命」とまで呼ばれます。これが、ケインズの「有効需要の原則」です。1927年に起きた世界大恐慌はケインズの説を後押しする絶好の機会となったわけです。しかしながら、1930年代から40年代は公共需要の発展よりも、戦争経済によってアメリカの景気は持ち直すことになります。ケインズ経済学が隆盛を極めるのは1950年代以降ですが、残念なことにケインズは1946年に亡くなってしまいます。ケインズ経済学を最も簡単に理解できる本は先程ご紹介したサミュエルソン博士の「経済学Economics:An
Introductory Analysis」です。 |
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ケインズ経済学を信じる学者や官僚をケイジリアンと言い、1950年から60年にかけて隆盛を極めます。しかしながら、失業がある間にはインフレは無いとするケインズの考えに反して、1960年代初頭には失業とインフレの同時進行がアメリカに起きてきました。その後、1960年代後半にはジョンソン政権下でのベトナム戦争の泥沼化により、アメリカの繁栄も低下していきます。インフレが加速し、失業者が増加していくのです。1967年にミルトン・フリードマン教授(Milton Friedman【米】1912年〜2006年)によりケインズ政策の批判が起こります。「失業率を下げるための政府による投資は効果 |