医療情報室レポート
No.224

2018年6月1日発行
福岡市医師会医療情報室
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特 集 :日本特有のワクチン問題とは?  

  今年3月に沖縄県で始まった麻しん(はしか)の感染が愛知県や東京都、福岡県など全国に拡大しており、現在、国は、麻しんの感染リスクが懸念される20代から40代の成人に2回のワクチン接種を受けるよう感染予防の徹底を呼びかけている。
 これまで、「ワクチン後進国」などと指摘されてきた日本の予防接種制度は、近年、ようやく先進国並みに定期接種(公費)ワクチンの導入が進みつつあるが、今回の麻しんの流行のように、海外からの流入を発端とする感染症の発生事例は度々報告されており、過去にワクチンの接種を十分に受けることができなかった世代への対策については今後も十分な検討が求められるところである。
 また一方で、接種勧奨の差し控えられたままとなっている「子宮頸がん予防ワクチン(HPVワクチン)」の今後が、我が国のワクチン問題の大きな課題として残されているが、5年経った現在も接種再開の見込みはたっておらず、この背景には、根深い日本特有のワクチン事情があると考えられる。
 今回の医療情報室レポートでは、予防接種制度における日本特有の問題点を整理し、今後の予防接種行政に何が必要なのか考えてみたい。

●麻しんの流行とワクチンの効果

 日本国内では、2007年に麻しん(はしか)が大流行し、当時、少なくとも1万人以上の患者が発生したとみられている。だが、2006年度以降、麻しん・風しん混合(MR)ワクチンの2回接種が定期予防接種となったことや、2008年度から中学1年生・高校3年生を対象に5年間限定で2回目の臨時接種が行われたことにより、国内の麻しんの報告数は激減し、2015年3月には、世界保健機関(WHO)から土着の麻しんウイルスが存在しない「麻しん排除国」と認定されるまでになった。しかし、海外からの流入を発端とする麻しんの発生事例は度々報告されており、今回の流行も台湾からの旅行客が原因とみられている。特に注意が必要なのは、2006年以前に麻しんワクチンを1回のみ接種、もしくは接種していない世代で、麻しんワクチンの抗体が不十分な可能性があるため、国は、今回の全国流行において、医療関係者や保育・教育関係者など感染リスクが高い人を中心にワクチン接種を呼びかけている。
 

●日本はなぜ「ワクチン後進国」となったのか

○ワクチン接種後の有害事象と偏ったマスコミ報道
 日本では、1948年の「予防接種法」制定とともに12疾病のワクチン接種が義務化されたことで感染症による死者は大きく減っていったが、一方で、ワクチンによる健康被害も発生するようになった。特に、1989年から開始されたMMR(麻しん・ムンプス・風しん混合)ワクチンでは、ムンプスワクチンの成分による無菌性髄膜炎が多発し国に対する訴訟等が相次いだ結果、わずか4年で中止されるという事態になった。この他にも、2005年に起きた日本脳炎ワクチン接種後の急性散在性脳脊髄炎(ADEM)発症や2011年のHibワクチンと小児用肺炎球菌ワクチン同時接種後の死亡事案、また最近では、2013年に子宮頸がんを予防するHPV(ヒトパピローマウイルス)ワクチンの接種勧奨差し控え等の事例があるが、いずれも、事あるごとにワクチンの負の面ばかりがセンセーショナルに報道され、国民の予防接種に対する不安が助長されたといえる。

○萎縮した予防接種行政のはじまり
 このように、ワクチンの負の側面ばかりが強調され国民の不安が増す中、1994年の予防接種法改正により、接種要件が「義務」から「勧奨」接種へと緩和され、接種形態も「集団」から「個別」接種へと移り変わった。またこのような状況を受け、それまで世界に先駆けて水痘や日本脳炎ワクチンなどの開発に取り組んできた製薬業界も消極的となり、国内での新ワクチンの生産は殆ど行われなくなったが、この萎縮政策の風潮が、後述するHPVワクチン問題に直結しているといえるのではないだろうか。

○日本特有の制度「任意接種」
 日本の予防接種制度は「定期接種」と「任意接種」に区分されるが、任意接種は自治体の補助がない限り個人の費用負担が生じ、万が一の際の副反応に対する補償も定期接種に比べて十分ではない。何より問題なのは自治体による接種勧奨が積極的に行われないため、国民に「任意接種はさほど重要ではない」と誤った認識を広げかねない点である。
 
 

●HPVワクチン(子宮頸がん予防ワクチン)の現状と今後

○再開の見込みがたたない「HPVワクチン」
 子宮頸がんを予防する「HPVワクチン」の接種勧奨が2013年6月に差し控えられてから5年が経過した。現在、日本では子宮頸がんの若年化が進み毎年2,700人が命を落としているとされるが、いまだ接種勧奨再開の見込みはなく、国内のHPVワクチンの接種者は毎年100人にも満たないような状況が続いている。世界保健機関(WHO)の「ワクチンの安全に関する国際委員会」は2015年12月、このような日本の状況について「若い女性をがんの危険にさらしている」と批判する声明を出しており、日本国内の学会や学術団体も、同様の理由によりHPVワクチンの接種勧奨再開を強く求めている。

○HPVワクチンの「有効性」は?
 HPVワクチンは、全世界の120ヵ国以上で承認、接種され、その有効性・安全性が広く認められており、世界保健機関(WHO)の「ワクチンの安全性に関する諮問委員会」は、2013年6月にHPVワクチンに関する安全性についての声明を発表している。一方、日本国内でも厚生労働省の有識者会議などがHPVワクチンと副反応との因果関係などを調査し「非接種者にも多様な症状が存在し得る」との見解を示してはいるものの、国は、接種勧奨の差し控えを継続する方針を変えてはいない。しかし、海外や日本国内での様々な疫学調査では、HPVワクチンがウイルスへの感染や子宮頸部の異形成発症(子宮頸がんの前病変)の予防に有意であることが示されており、国は、将来のVPD被害のリスクを踏まえ、早急にHPVワクチンの接種勧奨再開について結論を出す時期が来ているのではないだろうか。
 

●日本の予防接種制度が抱える今後の課題

 本国内でも多くのワクチンが定期接種化され、ワクチン・ギャップ問題は縮小されつつあるが、自治体の裁量に委ねた実施体制や国民のワクチンに対する理解など予防接種そのものに対する考え方にはまだ先進諸国との間に大きな隔たりがある。現在、国は、中長期的な予防接種施策の評価・検討の場として厚生労働省厚生科学審議会に予防接種・ワクチン分科会などを設置し、予防接種施策の新たなステージに向けて本格的な検討に乗り出している。ここでは、国の「予防接種基本計画」に盛り込まれている今後の課題・検討事項を取り上げてみた。

・予防接種に関する施策の実施状況や成果を図るため、工程表の作成やPDCAサイクルによる定期的な検証を実施
・ワクチンギャップの解消に向けて、残りのおたふくかぜ(ムンプス)及びロタウイルスワクチンについて、技術的課題等の整理検討が必要
・予防接種に関し、一般国民や被接種者・保護者が正しい知識を持つため、分かりやすい形での普及啓発・広報活動の充実
・開発優先度の高い6ワクチン※を定め、新たなワクチンの開発を推進
  ※6ワクチン…@麻しん・風しん混合(MR)ワクチンを含む混合ワクチン
           A百日せき・ジフテリア・破傷風・不活化ポリオ混合(DPT−IPV)ワクチンを含む混合ワクチン
           B経鼻投与ワクチン等の改良されたインフルエザワクチン、Cノロ、DRSV、E帯状疱疹
・予防接種記録の電子化や成人後も予防接種歴が確認できる仕組みの検討
・同時接種、接種間隔等の技術的検討           

医療情報室の目

★ ワクチンの役割や有用性こそ広く啓発されるべきである。
 1948年に予防接種法が制定された当時の日本は、ワクチン先進国として積極的に予防接種を推進していたが、MMRワクチンによる無菌性髄膜炎の問題や予防接種禍集団訴訟など相次ぐワクチン訴訟と国の敗訴を受け、日本の予防接種政策は衰退し、同時に国民も予防接種に対し不安を抱くようになってしまった。この背景には、事あるごとにワクチンの有害事象をセンセーショナルに取り上げる報道のあり方や国の過剰ともいえる反応に問題の一端があるように思われるが、今回の特集で取り上げたHPVワクチンの積極的勧奨の差し控えについても全く同じ事態が繰り返されているといえるだろう。
 昨年、HPVワクチンをめぐる訴訟や社会的恫喝に抗して、ワクチンの安全性を検証する記事を書き続け、著書「10万個の子宮」を刊行した医師でジャーナリストの村中璃子氏が、英科学誌ネイチャーなどが主宰する「ジョン・マドックス賞」を受賞した。この賞は、困難や敵意に直面しながらも公共の利益のために科学や科学的根拠を広めた個人を表彰するもので、村中氏は栄誉ある日本人で初めての受賞となったが、この快挙を日本国内では一部のメディアを除き大々的に報道することはなかった。
 たしかに、ワクチンは人体の免疫機能に直接作用し、時に予測できない反応を起こす可能性があるため、接種後に起こり得る症状やリスクについて注意を呼びかけていく必要はあるだろう。しかし一方で、ワクチンが歴史的・世界的にみて様々な感染症を撲滅、抑制してきたことも明らかな事実である。国やマスコミは、このようなワクチンの役割や有用性こそ広く啓発すべきであり、予防接種による健康被害が生じた場合の救済制度など国民の理解を促す情報についても、もっと積極的に発信していく必要があるのではないだろうか。

編集  福岡市医師会:担当理事 庄司 哲也(情報企画担当)・岡本 育(広報担当)・一宮 仁(地域医療担当)
 ※ご質問やお知りになりたい情報(テーマ)がありましたら医療情報室までご連絡ください。
(事務局担当 情報企画課 大西)
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