医療情報室レポート
 

bP85
 

2013年9月27日 
福岡市医師会医療情報室  
TEL852-1505・FAX852-1510 

印刷用

特 集 : 医療ICT化の展望と課題

 我が国の医療ICT(IT)化については、1990年代半ばに電子カルテやレセプト電算処理システムなどの院内情報システムが急速に普及し始めると同時に、地域や国レベルで電子カルテに蓄えられた医療情報等を共有しようとする基盤構築に向けた動きが既に始まっていたが、現時点において、当時想定されていたほどの発展は見られていないとされている。一方、諸外国では、「EHR」(Electronic Health Record)を利用した医療情報連携体制の構築が国家プロジェクトとして進められるなど動きが活発で、既にシステムとして稼働させている国も存在する。
 諸外国のこれらの施策に遅れをとっているとされる日本は、政府の健康・医療戦略推進本部の設置など「日本版EHR」の確立に向けた政策を推し進めてはいるが、電子カルテの更なる普及や法の整備など実現に向けた課題は多い。
 今回のレポートでは、これまでの医療ICT化をめぐる主な動きを振り返るとともに、諸外国のEHRへの取り組みの現状などに照らしながら、日本の医療情報連携基盤の課題や方向性を考えてみたい。


医療ICT化をめぐるこれまでの動き
 

医療ICT化をめぐる主な施策や動向

 現 状
 1970年代 医事会計システムや臨床検査システムなど、部分的なシステムが普及
 1980年代 オーダリングシステムの開発・普及が始まる
 1990年代  電子カルテの開発・普及が始まる
 2001年 厚労省「保健医療分野の情報化に向けてのグランドデザイン」公表。2006年度までに、電子カルテを病院・診療所の6割以上、電子レセプトを病院の7割以上に普及させる目標を掲げる  2013年現在、電子カルテの普及率は2割程度。10年以上経過した現在も、当時の目標を大きく下回っている。一方、電子レセプトについては、9割程度の医療機関に普及しているとみられている   
 2006年 「新・IT改革戦略」策定。医療分野への積極的なIT活用に向けて、「レセプトの5年以内オンライン化」、「電子カルテの普及」等を目標に掲げる 
 2007年 2001年に引き続き「医療・健康・介護・福祉分野の情報化グランドデザイン」を厚労省が公表。医療IT化に係る総合的施策の着実な実施等を目指す 
 2009年 「i-japan戦略2015」策定。遠隔医療技術の活用による医師の偏在改善等が示される。また、本戦略の中で初めて「日本版EHR」という呼称が明記される   
 2010年
 「新たな情報通信技術戦略」策定。医療について次の4つの具体的施策を打ち出す
 ・ シームレスな地域連携医療の実現(二次医療圏ネットワーク、在宅での医療介護連携モデル等の実現)
 ・ どこでもMY病院構想(自己医療・健康情報活用サービス) 
 ・ レセプト情報・特定健診等情報の活用による医療の効率化 
 ・ 医療情報データベースの活用による医薬品等安全対策の推進 
マイナンバー法の成立状況等を踏まえ、2012年7月に工程表を改訂

→ 検討中。2020年度までにネットワーク等の実現を目指す
 
→ 制度の枠組みやデータの2次利用について検討中 
→ データの第三者提供を試行的に運用。法的整備等を検討中 
→ 2013年度中にデータベースの試験運用等を開始 

日本版「EHR」の実現に向けた課題 
○低迷する「電子カルテ」の普及拡大  
   電子カルテの普及が低迷している要因として、入力に掛かる手間や時間など費用対効果が見出せないとの指摘があるが、昨今ではITリテラシーの高い30〜40代の新規開業医など多くが電子カルテを導入しており、既存開業医への普及拡大が今後の鍵といえる。

○医療情報を関連づける「社会保障番号」の付与
 
   社会基盤としてのEHRを運用するうえで、厳格な本人識別や認証が不可欠と考えられるが、現時点では医療分野に有用なID基盤が存在しない。

○国による設備投資や運用コストの負担  
   EHRの完成に意気込む諸外国では、専門的機関を設置し、巨額の推進予算を投じるなど、まさに“国策”として取り組んでいる。日本版「EHR」実現に向けた具体性のある計画や国の投資策を明確にする必要があるだろう。  
 
   推進組織  推進予算
米 国  OCN  300億円('05,'06計)
英 国  CFH  3兆円〜
カナダ  Infoway  1,000億円

○長期にわたるシステムやデータの運用に向けた基盤整備
  
   異なるシステム間でのデータ共有や超長期に亘る運用を踏まえ、国内ベンダー間の技術共有がスムーズに行われる土壌を築く必要がある。EHRが進んでいる諸外国では、標準化されたシステムの多くがオープンソース化されるなど、ベンダー間の技術共有が進んでいるといわれている。 
Keyword 「EHR」と「PHR」
 「EHR」について厳密な定義はないが、複数の医療機関が有する“医療情報”等を統合・集積した、国民一人ひとりの生涯健康医療電子記録のことを指す。2002年頃から、英国やカナダなど欧米を中心とする国々が、医療コストの抑制等を図るため、国民的規模のEHR政策を開始した。
 また同じような概念として「PHR(Personal Health Record)」があるが、これは個人が自らの健康に関する情報を、自己管理の下に集約した記録のこととされている。
「EHR」と「PHR」のイメージ 

諸外国における「EHR」の普及状況
国名(人口:百万人)
※世界人口白書2012より
EHRの
進捗状況
医療IDの
名称   

特 徴

 イギリス
(62.8)
 完成 国民医療制度番号
(NHSN)
NHS(National Health Service)が中心となって巨額の投資を行うなど、医療ICT施策を強力に推進。国内全ての医療機関がブロードバンドで結ばれており、医師はCTなどの画像データも瞬時に収集できる。
 デンマーク
(5.6)
 完成 個人識別番号
(CPR)
本表中、人口数が最も少ないが、早くから(1994年)医療ICTの基盤整備に取り組んでいる。EHRの構築はほぼ全土で完了しており、殆どのかかりつけ医、病院勤務医・薬剤師がシステムにアクセスできる。現在は各自治体間のEHRの連携、機能拡張などが進められており、世界的に最もEHRが進んでいるといわれている。
 カナダ
(34.7)
 州で異なる ※州で異なる EHR構築に向けて、政府IT投資機関である「Infoway」を立ち上げ、強力に推進している。州によって整備状況はまちまちだが、当初計画を前倒しし、2016年頃のEHR完成を目指している。
 ドイツ
(82.0)
 構築中 ※税務識別番号のみ 2015年までのEHR普及を目指している。現在は、ICカード(eGK)を通じて、本人確認、救急情報、保険資格確認などを行っている。EHR機能の一つである「病歴」や「投薬記録」などは患者の自由意思に任されている。
 フランス
(63.5)
DMPとして
稼働中   
国民登録番号
(NIR)
「DMP」と称する国営のデータベースを2010年に構築し医療機関の情報を蓄積している。医療情報へのアクセスについては、個人認証ICカード(CV)と医療従事者ICカード(CPS)を連動させる仕組みを採っている。 
 オーストラリア
(22.9)
 構築中 ヘルスケア識別番号
(IHI)
州や自治体単位でEHRシステムの構築に取り組んでおり、将来的にはそれらを連携させるとしている。個人健康情報の管理に向けて、2010年にヘルスケア識別番号法を成立させ、現在、医療分野に限定したIDを殆どの国民に付与している。 
 アメリカ
(315.8)
 構築中 社会保障番号
(SSN)
2004年、当時のブッシュ大統領が2014年までのEHR完成を宣言。現オバマ大統領も、期限までのEHR全土普及を目指しており、約1兆7,000億円の国費を投じ、電子カルテを導入した医師には現金の支給など高いインセンティブを与える一方、2015年までに導入しなかった医師にはメディケア、メディケイドの支払いを減額するなど、EHR実現に強い姿勢を示している。 


医療情報取り扱いにおける問題点
    ・情報量の急増による“患者情報”見落としの危険性はないのか
   現在の医療情報連携システムで公開されている電子カルテは基幹病院のものが主だが、病院・診療所の電子カルテ情報が双方向で閲覧可能となった場合、その情報量は膨大なものとなる。医師には、カルテの内容を全て把握する義務が課せられるはずだが、多年に亘って複数の医療機関に蓄積された一患者の膨大な病歴等の情報を、わずかな診療時間中に全て確認できるのだろうか。例えば、数年前にある病院で脳動脈瘤を指摘された患者が、かかりつけ医に頭痛を主訴に来院。経過観察で帰宅させ、その後くも膜下出血で死亡した場合、過去のカルテに記載されていた脳動脈瘤の情報を見逃した医師に責任が生じる可能性があるのではないか。

・患者は“連携”を拒否できるのか
   連携システムにおいて、かかりつけ医は他の医療機関の電子カルテ(病歴等)を閲覧する場合に患者への同意を得る必要があると想定される。しかし、その患者に何らかの知られたくない疾患や受診歴があり拒否をしたいと思っても、「かかりつけ医からぞんざいに扱われるかもしれない…」などの思い込みから断りづらいのではないだろうか。
 診療そのものが患者の協力なくして成り立たないことは言うまでもないが、連携システムが導入された医療機関では、患者は連携を拒否するか(過去履歴徴収0%)、同意するか(過去履歴徴収100%)のどちらかとなり、現状の診療のような「あいまいさ」が許されなくなる。“連携への拒否”は患者の正当な権利なのか、それとも診療を妨害する行為となるのかについて十分な議論が必要かもしれない。さらに加えるならば、将来、連携システムの共有範囲が「地域包括ケアシステム」にまで広がった場合、地域の介護従事者などにも患者情報が晒されてしまう可能性がないだろうか。

<医療情報室の目>
★医療情報連携基盤構築に向けたコスト負担のあり方とセキュリティ対策
 医療現場における多職種連携や医学研究を進める上での情報収集など、医療情報の利活用の必要性は高いといえる。また、災害時に、必要に応じて患者の過去の医療情報を参照・共有できるなど、災害対策としての期待もある。
 しかし、総務省の試算によれば、ICT化による医療費削減効果は医療情報システムの運用に係る費用をおよそ1,500億円も下回るとされており、現状でのICT化はベンダーに利益をもたらすばかりで、医療機関にとっての費用対効果は見出せていない。日本版EHRを含め、医療ICT化を推し進める以上は、国家プロジェクトとしての位置付けを明確にし、中長期にわたってプロジェクトを推進する専門組織を設立するとともに、推進・運用にかかるコストについても、国が責任を持つことが必要ではないか。さらに、セキュリティに関しては、医療分野における個人情報は極めて秘匿性の高いものであり、万一の漏洩等により患者に社会的な影響を及ぼす危険性を孕んでいる。医療情報連携システムの検討・構築にあたっては、通常の個人情報保護のルールとは一線を画し医療分野独自の視点も含める必要があると考えられるため、日本医師会のような医療専門団体が強く関与していくことが望ましいのではないだろうか。
ご質問やお知りになりたい情報(テーマ)がありましたら医療情報室までご連絡下さい。
   (事務局担当 情報企画課 下田)
担当理事 今任信彦(情報企画担当)・松尾圭三(広報担当)・寺坂禮治(地域医療、地域ケア担当)

  医療情報室レボートに戻ります。

  福岡市医師会Topページに戻ります。