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安心と安全を確保できる医療制度の確立と発展 |
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安全で質の高い医療を提供できる医療環境の整備 |
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社会保障の諸施策に医療現場の声を反映させる |
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医政活動における選挙活動は国民のための医療、国家的立場に立脚した医療という日本医師会が目指している医療政策を政治の場で反映させ、実現するための手段 |
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医政活動は思想運動ではなく医療従事者の生活闘争であり、より良い医療の確立には団結と積極的な運動が大切 |
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地域住民・国民に対して、医師会が目指す在るべき医療制度の姿について、日常的に啓発活動を行い、理解を深めてもらう |
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医系議員、地元選出議員への現場意見の説明 |
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より良き医療政策の提言 |
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医療に精通している人、医療に理解を示す人を医療現場の声の代弁者として国政の場に送り出す |
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後藤 新平 (1857〜1929没)
本コラムは、今回より医師でありながら政治の世界で活躍した人物を紹介いたします。第1回目は関東大震災(1923年)において、帝都復興院の創設等をはじめ、陣頭に立って復興に尽力したことで有名な後藤新平です。
後藤新平は明治から大正時代に活躍した政治家で、現在の岩手県奥州市に生まれました。須賀川医学校を卒業後、医師として愛知県病院に赴任、岐阜事件(1882年)では負傷した板垣退助の手当てもしています。その後、内務省衛生局長、台湾総督府民政長官、逓信大臣、内務大臣、外務大臣等様々な要職を歴任し、公衆衛生、都市政策など多くの事業に業績を残しました。
形式に囚われず、大胆な発想により打ち出される政策は「大風呂敷」と揶揄されることもありましたが、その強烈なリーダーシップは現代の政治家にこそ求められる素質であったと高く評価されています。 |
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