医療情報室レポート
 

bP54  
 

2011年2月25日 
福岡市医師会医療情報室  
TEL852-1505・FAX852-1510 

印刷用

特 集 : 国民皆保険制度下における医療の産業化を考える
 

 菅内閣が、医療分野を成長分野としてとらえる“新成長戦略”を閣議決定して半年以上が過ぎた。その間、外国人医師による臨床修練(国内診療)許可手続きの簡素化に向けた検討や外国人の医療滞在ビザの運用が開始されるなど、新成長戦略の実現に向けた動きが加速している。日本医師会は「医療・介護への投資は雇用拡大や経済成長をもたらし、充実した社会保障を実現させる」と総論では評価しているものの、医療ツーリズムや株式会社の医療への参入、混合診療の全面解禁に繋がる恐れがあるなど、国民皆保険制度が崩壊しかねない問題も見受けられることを危惧している。
 はたして医療分野は本当に経済成長の牽引役となり得るのか?今回は“国民皆保険制度下”における医療の産業化について考察してみた。


“医療の産業化”とは
 産業とは、一般に生活に必要な財貨やサービスを生み出す経済活動のことを指す。営利・非営利にかかわらず、すべての活動が含まれるため、“医療”も一つの産業といえる。今回のテーマである“医療の産業化”とは、本来、疾病の治療・回復により労働力としてのマンパワーの回復を目的とする、非営利産業である医療分野に、経済成長牽引という営利的側面を期待するものである。政府は2020年までに医療や介護分野において「新規市場約50兆円、新規雇用284万人」を創出することを目標としている。

現政府が目指す産業化
 政府は、新成長戦略において成長への波及効果が大きいと考えられる項目を国家戦略プロジェクトとして位置付け、積極的に推進する方針を示しているが、そのうち医療分野としては「医療の実用化促進のための医療機関の選定制度など」と「国際医療交流」の2つを掲げている。

○医療の実用化促進のための医療機関の選定制度など
 一部の医療機関に対し研究費や人材を重点的に投入する他、先進医療の評価・確認手続の簡素化などを図り、世界標準の国内未承認又は適応外の医薬品・医療機器を保険外併用療養として提供することにより、ドラッグ・ラグ、デバイス・ラグ(日本国外において使用が承認されている薬剤・医療機器が、国内で使用が承認されるまでのタイムラグを指す)の解消を目指すもの。

○国際医療交流
 営利を目的とした外国人への医療の門戸解放のことをいい、医療ツーリズムがその代表格である。今年1月、「医療滞在ビザ」の運用が開始されたが、従来の短期滞在ビザに比べ、渡航回数、滞在期限等が大幅に弾力化されている。そのほか、外国人医師・看護師による国内診療を可能とするための手続きなどの規制緩和を行う。また、外国人患者の受入れに資する医療機関の認証制度の創設などにより円滑な外国人患者の受入れを図るとともに、海外プロモーションや医療言語人材の育成などの受入れ推進体制を整備するとしている。

 その他、混合診療を解禁することにより医療技術・機器の進歩を促し、ひいては産業の発展に繋がるとの意見もある。政府はこれらの規制緩和により医療周辺産業に雇用需要が生まれるとしている。
  −菅内閣における“医療の産業化”に
                 向けた主な動き−

産業化に対する各般の見解
 日本医師会は、混合診療の全面解禁や医療ツーリズムの推進など、医療の営利産業化の議論が進められていることに強い懸念を示している。
 経済産業省が昨年6月にまとめた『医療産業研究会報告書』については、「“国民皆保険制度の維持・改善に向けて”と副題に謳っているにもかかわらず、公的医療保険に依存しない民間市場拡大を図るものだ」と猛烈に批判し、公的医療保険の給付範囲が縮小する流れには断固反対し、国民皆保険制度を全力で堅持すると訴えている。
 本年1月26日の定例記者会見の中で日医は、昨年末に各都道府県医師会に実施した“医療ツーリズムに関する動向調査”において、34の医師会が『反対』との回答を寄せていることを公表し、全国的に広がりを見せている医療ツーリズムの流れを食い止めるべく、政府への提言等を行っていくとの考えを示している。
 以下に、医療サービスの新たな市場拡大に向けた提言と、その流れを危惧する日医の見解をまとめた。


◎日本医師会『医療政策シンポジウム』

 去る2月2日、日本医師会主催の医療政策シンポジウムが「国民皆保険50周年〜その未来に向けて」をテーマに日医大講堂にて開催された。今回は、「韓国医療の光と影」と題し韓国医師会名誉会長である文太俊氏の特別講演が行われ、「低保険料・低給付・低報酬」の構造で成り立っている韓国では、いわゆる“混合診療”が保険制度導入の初期から認められており、患者の自己負担率が高く、健康保険の保障率が低いこと等が紹介された。また、二木立氏(日本福祉大教授・副学長)や権丈善一氏(慶応大教授)らによる講演、パネルディスカッションが行われ、我が国の長期的・安定的医療の確保には、景気に左右されやすい税財源に頼るのではなく、社会保険料を主財源とすることが望ましい等の見解が示された。

<平成22年度医療政策シンポジウム(日本医師会HP内)>
  http://www.med.or.jp/nichikara/22issympo/

連載Column「医療と経済学」vol.8

               〜合理的期待形成仮説〜

 『合理的期待形成仮説』とは、1970年代末、アメリカの経済学者ルーカスやサージェントなどにより主張された経済学における理論です。この理論では、人々の経済行動は将来に対する“期待”に大きく依存していると言え、あらゆる情報を効率的に利用して合理的な未来予測(期待形成)を行えば、それは平均的・系統的にみて誤った事態に向かうことはないため、裁量的な金融・財政政策が行われたとしてもなんら影響を与えないとしています。たとえば政府が裁量的経済政策を行ったとしても、人々は後にその政策に応じた増税等を予測し、実質的な利潤や労働賃金はかわらないことを見通すため、企業は投資を控え、労働者も消費意欲を刺激されることはなく、結果、政策は効果を発揮しないとするものです。
 しかしながら、現代の複雑な経済状況において、すべての人が等しく情報を共有するとは考えにくいため、この理論は基礎前提そのものが成立しないとの批判もあります。ただし、いままで概念としてしか取り扱われていなかった“期待形成”の問題を積極的に経済理論に組み込んだ点は高く評価されています。
<医療情報室の目>
 質の向上、効率化を図る目的での“医療の産業化”について異論をはさむ者は誰もいない。しかしながら菅内閣が掲げる『新成長戦略』は、かつて小泉政権が推し進めようとした市場原理主義に基づいた医療の門戸開放に回帰しているかのように感じられる。経済産業省は、国民皆保険制度下で行われる医療サービスでは、より高度な医療を望む患者の期待に応えられないため、公的保険制度に頼らない、いわゆる混合診療の全面解禁といった自由診療による医療供給に向けた“医療の産業化”を進め、医療市場を拡大する必要があるとしている。医療に営利追求型の市場原理を持ち込むことは断固として阻止すべきものであるが、高度医療技術や新薬の開発等、すなわち医療周辺産業の発展を促すことにより経済発展へと繋げる可能性があることは事実であろう。
 いずれにしても、経済発展のためとはいえ医療制度の基盤が崩壊しては元も子もない。国民皆保険制度の堅持と医療の質の向上を図るには、今後、社会保険料を主財源とした医療費財源確保など、公的医療費拡大の必要性も論じられている。成長産業として期待される医療分野において、恒久的な財源の確保が大きな課題となることは間違いないが、混迷する現在の政局において、その将来像は見えてこない。
ご質問やお知りになりたい情報(テーマ)がありましたら医療情報室までご連絡下さい。
   (事務局担当 情報企画課 下田)

担当理事 原  祐 一(広報担当)・原村耕治(広報担当)・竹中賢治(地域医療、地域ケア担当)


  医療情報室レボートに戻ります。

  福岡市医師会Topページに戻ります。