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13世紀、ローマ法王グレゴリオ9世が、金銭貸借に対し利息を取ることを禁止する徴利禁止令を発布したことに伴い、従来の海上貸借(※3)は衰退した。 |
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資本家が船主や荷主から借金をしたように仮装し、航海が成功 した場合は返済が免除され、失敗した場合は返済するとした仮装契約は、今日の海上保険に類似していた。 |
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14世紀イタリアで、消費貸借や売買契約に仮装されない、独立の損害補てん契約が社会的に認知され、バルセロナ(スペイン)、リスボン(ポルトガル)、アントワープ(ベルギー)、ロンドン(イギリス)など西ヨーロッパの国際的貿易港に波及していった。 |
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17世紀イギリスで、コーヒーが流行し、コーヒー店は商談に利用され、そこで海上保険取引が行われた。中でもエドワード・ロイドが所有していたLloy'd Coffee Houseは海上保険営業を独占し、保険会社を設立するまでに成長した。 |
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コレギヤ・テヌイオルム(※1) 〜紀元前後・ローマ〜 |
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当時は貧富の差が激しく、庶民が団結して相互扶助を目的として形成した。団体へは任意加入であり、加入者は加入金と月掛金を納め、死亡時には遺族に葬儀費用を支払うなど生命保険のような機能を果たしていた。 |
ギルド(※2) 〜中世・ヨーロッパ〜 |
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商人手工業者は、同業の発展、共存共栄、共同の利益の擁護を目的と し、都市の内部で同業者組合を形成した。自由競争を禁じ、生産の統制や技術の保持を図り、市場を独占した。組合員の死亡、火災、家畜の盗難に対し、損失を負担する共済制度で生命保険、火災保険、盗難保険のような機能を果たしていた。 |
海上貸借(※3) 〜中世・地中海〜 |
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海上輸送は沈没、座礁、海賊の襲撃などの危険があったため、貿易業者は所有している船舶、積荷を担保として、金融業者から資金を借り入れ、航海に成功すれば借入金に利息を加えて返済した。一方、航海に失敗した場合には、借入金の返済、利息の支払義務を免れた。 |
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起源は中世ヨーロッパの北部(現在のドイツ)のギルド(※2)で あり、15世紀に多くの火災共済組合が設立された。17世紀にはハンブルクで世界最初の公営火災保険会社が設立され、19世紀には、産業革命の展開とともに公営保険から私営保険に移行していった。 |
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17世紀のイギリスで、大火を契機に当時の海上保険を応用して世界最初の私営火災保険会社が設立された。 |
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イギリスの植民地であった18世紀のアメリカで、ロンドンのHandin Hand社が火災保険会社を設立した。 |
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18世紀のイギリスで、加入者を2,000人に限定して、年齢に関係なく一定の掛金を支払い、会社がこれを運用し、死亡者に元利金を保険金として均等に分配するという生命保険会社が設立された。その後、加入制限を撤廃し、保険料を年齢別に区別する現在の生命保険へと発展した。 |
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17〜18世紀に発達した確率論、人の生死に関する数学的究・統計により生命保険の合理的な保険料の算出や適用などの基礎が確立された。 |
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18〜19世紀の産業革命により資本主義経済は高度化したが、個人の生活保障は自己責任であった。19世紀のドイツで、資本家と労働者の対立が先鋭化し、分配の公平化と社会問題を解決する政策として、疾病保険、産業災害保険、障害・老齢保険が制度化された。 |
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20世紀のイギリスで、国民健康保険、失業保険が制度化され、拠出年金制度が創設された。 |
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20世紀のアメリカで、世界恐慌による不況対策として、大量の失業の克服を目指した社会保障法が成立した。これにより、老齢年金制度、失業保険制度が創設され、公的扶助、社会福祉事業に対して国庫補助を行った。しかし、アメリカの社会保険には健康保険(疾病保険)は含まれていなかった。 |
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