医療情報室レポート |
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2006年 9月 15日
福岡市医師会医療情報室
TEL852-1501・FAX852-1510
特集:日本の医療制度史
昭和36年(1961年)の国民皆保険の実現から40年以上が経過した。「いつでも、だれでも、どこでも」安心して、同じ料金で貧富の差なく十分な医療を受けられる国民皆保険制度は、我が国の発展を国民の健康面から支えてきた。 |
保険制度の成り立ち |
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明治以前〜昭和前期の医療 |
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○ | 大正〜昭和前期の医療 | |
国民皆保険制度は昭和36(1961)年に達成されるが、戦前に於いても、社会保障関係の法整備が進められていた。 大正11(1922)年に制定・公布、昭和2(1927)年の健康保険法の施行により初めて労働者を対象とした公的な医療保険制度の整備がなされた。 当時の健康保険法は、大正期に盛んになった労働運動の中、労働者の生活の不安をなくすことを目的にドイツの労働者保険をモデルに制定されたものだが、 給付対象が被用者本人のみである点、現在の労災保険の傷病も対象とする点などの相違があるものであった。 昭和13(1938)年には青年男子の結核予防を大きな目的として、自営業者、農業従事者を対象とする国民健康保険制度が創設 (昭和33(1958)年全面改正)された。無論これは、兵役不適合者を減らすことが主目的であった事は否めない。 これらは、現在の制度と比較して、内容・対象者数・事業規模等様々な点で不十分なものであったが、戦後の制度設計の原型 として、その後の我が国の医療保険制度に影響を与えていることは無視できない。 また、政府が医療の整備を進めるにあたって、戦争という非常事態は大きなファクターを占める。 徴兵した兵隊の健康状態改善への軍部の要求が高まるのを受け、昭和13(1938)年に厚生省、昭和17(1942)年には日本医療団が 設立された。日本医療団の傘下には殆どの病院が移管され、更に結核療養所の新規開設と無医村の解消が目標として掲げられた。 |
昭和(戦後)の医療 |
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○ | 制度の見直し | |
昭和48(1973)年の石油危機により、戦後初めて経済成長率がマイナスを記録した。 社会保障制度はインフレに対して給付水準を合わせていくため、年金や医療保険の診療報酬、生活保護制度の生活扶助費等の高率改定が行われ、社会保障関係費が急増した(昭和49(1974)年度 診療報酬改定36%引上げ,生活扶助基準20%引上げ等)。 その為「財政再建」が当面の課題となり、昭和55(1980)年には第2次臨時行政調査会が設置されて歳出の削減・合理化が進められ、老人医療費支給制度や医療保険制度等の見直しが進められた。 |
平成の医療 |
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○ | 90年代後半〜2000年代の医療制度改革 | |
バブル景気崩壊後の低成長経済下における財政事情の悪化の中、
90年代後半からの医療制度改革は、増大する医療費と保険財政の悪化を防ぐ制度運営安定化への努力を全面に押し出してきた。 平成9(1997)年の健康保険法等の改正では、被用者保険本人一部負担2割への引き上げ、薬剤一部負担金導入、政管健保保険料の引き上げが行われた。 その延長上にある平成14(2002)年の改正では各制度及び世代を通じた給付と負担の見直しが行われ、被用者本人の一部負担を3割へ統一、また、高齢者の完全定率1割負担が行われた。 平成18(2006)年の医療制度改革法は、現役並みの所得(夫婦2人世帯で年収約520万円以上)がある70歳以上の負担が2割から3割 に引き上げられる等、高齢者への負担増を始め、入院日数の短縮、 生活習慣病予防の徹底等で医療給付費の抑制を図る内容となっている。 |
<医療情報室の目> | |
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担当理事 原 祐 一(広報担当)・原 村 耕 治(地域ケア担当)