ラグビーの名門、福岡高校から明治大学に進み、無敵の新日鉄釜石ラグ ビー部の基礎をつくった名プレーヤー。現在は福岡に帰り、会社を経営す る傍ら、母校である福岡高校の監督として活躍されています。
【森 重隆さんプロフィール】 1951年11月6日福岡市生まれ。 ラグビーの名門、福岡高校から明治大学 へ進学大学ラグビーで活躍。 1974年に新日鉄釜石に入社、6回の日本 一を達成。 1982年1月15日プレーイングマネージャー としてラグビー日本選手権4連覇を達成。 同2月21日、日本代表対関東代表戦を最後 に勇退。 現在、実家の株式会社森硝子店の代表取 締役。 母校、福岡高校ラグビー部監督も務めて いる。 元ラグビー日本代表主将 森 重隆さん
●高校時代は、どんな練習をされていましたか? ただもう走れ走れという感じで。今のように効率のいい練習などはしていま せんでしたから、やみくもに練習していましたね。高校時代は、練習で消費す るエネルギーの方が多くて、食べてもぜんぜん太らなかったんです。だから体 は、本当に小さかったですね。今では、高校生でも当時のような練習はしない ですよ(笑)。
●練習方法が昔とは変わってきたということですか? 僕らが学生の頃よりもずっと進歩して、すごく良くなってきていると思いま す。ただしですね、ただ効率のいい練習だけでいいのかといえば、そうとも言 い切れないのが、スポーツの面白いところです。他人が見たら、一見なんの根 拠もないような練習だけれども、それをしないと勝てないというような何か。
それは井上康生や野口みずきなど、一流のアスリートほど体で知っています。 科学的な部分と非科学的な部分、そのどちらも必要といいますか。イチロー選 手もそうですが、私たちはTVで彼らが活躍する場面だけを見ています。しか し、その陰にあるのは、私たちの想像を絶する努力です。そして自分独自の練 習法というのを、彼らは必ず持っていると思います。
●現在は母校である福岡高校ラグビー部の監督をされていらっしゃるとか。
監督をしてもう12年近くになりますが、子 どもの内面というのは、今も昔もそう変わらな いと思いますね。変わったのは、むしろ僕ら大 人です。僕らが子どもの頃の大人たちは、もっ と情熱的で、悪いことは悪いと言い、もっと地 域社会に関与していた気がします。地域でも学 校でも「大事なことは昔も今も、変わらないん だぞ」とちゃんと教える大人が少なくなってき たように思います。 田中角栄や吉田茂がいいか悪いかは別にして、
昔の政治家も偉かった。なにか自分の信念みたいなものを(あの頃の政治家は) 持っていたような気がします。信念というのは、継承されていくものなのだと 僕は思うんですよ。ある人がいった言葉ですが「人生はマラソンではなくて、 駅伝だ」、次の世代へたすきを渡していくことだと。ところがそういうことが、 今の大人はできていないんじゃないかと思うんです。
●ラグビーを通じて次世代へバトンタッチをされているのですね。 そういう大袈裟なことではないですけれども、勝ち負けよりも、ラグビーを 通じて、生きるとは何か、仲間とは何かということを伝えていきたい。僕は子 どもたちに、感動できる大人になって欲しいと願っています。あいつは凄い! と、人に感動できる人間に。僕の周りにも感激屋がたくさんいましたが、そう
いうやつほど、人の痛みが分かるのです。それは生きる上では、ずっと大切な ことだと思います。人に感動できる人間でなければ、人を感動させるプレーは できません。そういうことを子どもたちに教えていきたいと考えています。
●森さん自身の健康法は。 たまにゴルフへ行くことと、仲間と飲むことくらいですね(笑)。僕はあま りストレスがないというか、何がストレスなのか分からないのです。あえて言 うなら、普段からあまり怒らないということでしょうか、怒っているより、笑 っていた方が断然気分がいいわけですから。笑いのある職場、笑いのあるチー ムにしたいといつも思っております。 僕らの時代は、グランドで白い歯を見せるなと言われていましたが、決して
そんなことはないと思うんです。もちろんラグビ
写真提供:ラグビーマガジン編集部ーは笑いながらできるようなスポーツではないで すが、きつい練習の中にも笑いがあると、本当に いいんですよね。自分もきついときに、笑顔を出 せるやつというのは、本当にすごい選手だと思い ます。ひとつ余裕があって、まわりの状況がよく 見えているからこそだと。そういうことをちゃん と評価してやる指導者になりたいと思っています。 ●今後の目標は? 今のチームでぜひ全国大会へ行きたいですね。 そして将来、慶応や早稲田など中央の大学ラグビ ーチームで活躍したり、プロで活躍するような選 手が育って欲しいということですね。